2017年11月26日日曜日

ノーランド・ヒル

【神聖暦5038年 2の月5日 雪】

 朝から雪がちらつく中、僕とハイネはノーランド・ヒルへと出発した。
 《白の広場》からは距離があるのと、調査は何日にも及ぶだろうことを考え、僕たちはテントをたたみ、拠点ごと移動することになった。
 そんなわけで、朝早くに起きて小一時間ほど撤収作業にいそしんだあと、僕たちはジープでメリザンドの北の端へと向かう。
 《白の広場》からノーランド・ヒルへは、市の目抜き通りであるファング大通りを真っ直ぐに北へ進めばいいだけだ。
 大通りに沿って並ぶ建物はどれも、ほとんどが焼け落ちて、瓦礫と化している。
 その間に、植物が盛大に繁殖しているのだが――どれも、異様なほどに大きかった。
「……すごい……」
 ドローンで映した動画を目にしてはいても、やはり実際に見るのとではずいぶんと印象が異なる。
「廃墟となった都市は、全部こんなふうに植物が繁殖している……わけではないですよね?」
 僕は、ジープを運転しているハイネをふり返り、問うた。
「ああ。……むしろ、ここみたいなのは珍しいな」
 うなずいてから、彼は僕に言う。
「植物の写真も撮っておいてくれ。向こうに着いたら、植物についても検索してみよう」
「はい」
 僕は答えて、植物群へとカメラを向けた。
 カメラのファインダー越しに覗く植物たちは、更なる迫力を持って、僕に迫って来る。
 下の方が崩れてしまった建物の、屋根から突き出すように生えた樹木があるかと思えば、上へと伸びる建物を抱えるように茎を巻き付かせている植物もあった。後者はまるで、植物が建物の倒壊を防ごうとしているようにも見える。
 樹木の多くは冬のさなかだというのに、青々とした葉を茂らせていた。花をつけているのは、この季節に咲く植物だろうか。
(あの花……母さんのノートにあった……)
 通り過ぎて行く景色の中に、見覚えのある花を見つけて、僕は胸に呟く。
 大きな花弁を持ちながら、白く、どこかはかなげな雰囲気を持つその花。名前はたしか――。
「メリザンド……」
 思わず声に出して呟いてしまった僕を、ハイネが怪訝そうにふり返った。
「なんだ?」
「あ……。すみません。あの花の名前を思い出したものですから」
 言って僕は、ちょうど近くに見えていたその花の方を指さす。
「あの花、メリザンドっていうんです。……この街の、名前の由来になった花だって」
「ああ……言われてみれば」
 そちらを見やって、ハイネはうなずいた。
「……ハイネは、この花のこと、知ってるんですか?」
「まあな」
 曖昧に答えて、ハイネは言う。
「そのことはまた、ノーランド・ヒルに着いたら教えてやるよ」
「はあ……」
 僕もまた曖昧にうなずいた。

 そうやって周辺の植物をカメラに収めたり、あれこれ話したりしながら僕たちは、ほどなくノーランド・ヒルに到着した。
 ファング大通りの終点から道は坂になり、それを登り詰めると巨大な鉄の門が姿を現す。
 それが、かつてのノーランド農場の正門だった。
 農場は、この正門を基点として、ぐるりと鉄の柵で囲まれている。
 ただし、当時と違って今はほとんどが錆びつき、つる植物におおわれていた。中には、壊れてしまっている箇所もあるようだ。
 むろん、正門には鍵はかかっておらず、開けっ放しだった。
 なので、僕たちのジープはそのままそこを通り抜け、更に先へと進む。
 資料に添付されていた写真によると、この門の少し先から左右には果樹園や野菜畑が広がり、その先にそれらを収穫したあとの作業を行うための工場があって、その更に奥にノーランド一家の屋敷があったようだ。
 だが今は、果樹園も野菜畑も跡形もない。
 おそらく作物は、火災で全て焼けてしまったのだろう。
 そのあと、まったく人の手の入っていない畑は、ただの荒れ地と化して雑草がひたすら伸び放題に伸びているばかりだった。
 ただ不思議なことに、それらはここに来るまでに見たような、異様に巨大なものではなく、ごくあたりまえの――誰も手をつけなければこんなものだろうなと納得できる程度の育ち方だった。
 工場の方はほとんどが焼け落ちてしまっていて、ここもまた雑草におおわれていた。
 屋敷も似たような状態だったが、こちらは工場よりは建物が残っている。
 農場の敷地と区別するためだろう。屋敷の方にも最初に通ったのよりは小さめの門があって、周辺は最初のものよりも装飾的な鉄の柵に囲まれていた。といっても、これも錆びてしまっている上に、蔓草が大量に絡みついて、なんだかわからないありさまだったけれど。
 僕たちはそこを抜けて、屋敷のかつては庭だったらしい一画へとジープを乗り入れた。
「……このあたりでいいか」
 ハイネが呟き、ジープを止める。
 そこは、おそらく庭の中央付近で、大きな噴水のある場所だった。
 といっても、すでに水は噴き出しておらず、水盤の上に塔のような飾りのあるそれは苔と植物におおわれてしまっていたけれど。
 僕たちはジープを降りて、テントの設営を始めた。
 もともと一人でもさほど時間をかけずに設営できる簡易テントは、二人でやるとあっという間だった。
 作業を終えて、僕はなんとなくあたりを見回す。
「……ここって、なんだか《白の広場》に似てますね」
「ああ。ノーランド・ヒルってのは、この街における領主様のお城、のような場所だったらしいからな。ここも、広場に似せて造ったって聞いた」
 僕の呟きに、ハイネが言った。
「そうなんですか?」
 そちらをふり返って、僕は首をかしげる。資料に、そんなこと書かれてあったっけ。
 彼は僕の疑問を察したらしい。
「今のは、資料には載ってない。ただ、俺が昔聞いた話だ」
 小さく肩をすくめて言った。そして、続ける。
「俺も、東ゲヘナの生まれなんだ。両親の離婚で、小さいころから母方の祖父母に育てられてな。その祖父母が、東ゲヘナ国内や他の国のことなんかの昔のことを、寝物語に聞かせてくれた。その中に、この街のこともあったんだよ。街の名前が花に由来しているってのも、その時に聞かされた話だ。それはともかく――祖父いわく、メリザンドの街は、ノーランド家が統治しているようなもんだってな。市長だって、市の議員たちだって、みんなノーランド家のお墨付きをもらって初めて当選するし、議会自体がノーランド家の意向を無視しては動かない。そんな街だから、市の封鎖はその『ご領主様』に何かあったに違いないってな」
「え……」
 僕は、驚いて目を見張った。
 母から、そんな話を聞いたことは、一度もない。
 それに、それは共和制の国家の中に存在する都市の話とは、とても思えない。
 僕がそう言うと、彼は笑った。
「共和国を名乗っちゃいるが、東ゲヘナはもともと封建的な国だぜ。人種差別も根強いしな」
「それは……」
 たしかに、東ゲヘナに人種差別はある。
 国民は全て政府が発行するIDカードを持たされるのだけど、そのカードには名前や住所や年齢などの他に、遺伝子情報も書き込まれていて、どの人種なのかがすぐにわかるようになっているのだ。
 そして、人種によって、使える店や施設などが決められている。
 僕の母は『地の民』と呼ばれる人種だったけれど、父はそれより優秀とされる『月の民』で、僕は遺伝子的に『月の民』に分類されるらしい。なので、グランドールでくらしていたころは、『月の民』専用と決められた店や施設を利用していた。
 もちろん、そうしたことに反対する人々もたくさんいたし、僕もあまりそうした差別的なやり方は好きではなかった。
 けど、でも……さっきハイネが言ったことはまた、それとはちょっと違う気がする。
 僕がそう言うと、彼は小さく肩をすくめた。
「同じことさ。……あんた、亜人が市長に選ばれたって話を、聞いたことがあるか? まあ、亜人は一般的にもあんまり頭がいいと思われていないし、どこの国でもわりと『人外』扱いされてるけどな。けど、中にはものすごく人望のある亜人だっている。それでも、市長にはなれない。なぜなら、『月の民』でその都市の有力者でもある人物が、了承しないからさ」
 彼の口調は、まるで見て来たようで、実際にそういう事実を見聞きしたことがあるのだろうと思わせた。
「……そういう、ものなのかな……」
「そういうものさ」
 思わず呟く僕に、彼は再び肩をすくめて言う。
 そして、話題を変えるように、焼け残った屋敷跡をふり返った。
「それはともかく。そろそろ、調査を始めようぜ。俺たちは、そのためにここに来たんだからな」
「あ……はい」
 僕もうなずいて、彼の視線を追う。
 そこには、黒く煤け、焼け焦げたかつての屋敷の残りが、ほの明るい日射しに照らされて佇んでいた。

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