2017年9月26日火曜日

母の家

【神聖暦5038年 1の月22日 雨】

 メリザンドに到着して半月ほどが経過した。
 最初に着手したリオーネ地区の調査も、そろそろ終わる。
 リオーネ地区はリオーネ大通りを挟んで西に広がる、リオーネ西地区と共に、庶民が多く住んでいた区域だ。
 そのせいか、立ち並ぶ家屋はそれほど高級なものではなく、古く老朽化したものも多かった。
 ただ、火災の痕はほとんどなく、どの建物も中は当時のまま残っている状態だった。
 そうした家々を調査して回るうち、僕は母の家もこの区域の中にあるのだと気づく。
 ――いや、それは嘘だ。
 僕は最初から、母の家がこの区域にあることを意識していた。
 そもそも僕が、メリザンドを希望したのは、ここが母の生まれ育った街で、母の生家があるためだった。
 住所もちゃんと把握している。
 なのに、後回しにしていたのは、母に了承を得ることなく若いころの母の記憶を残す家に踏み入ることを、少しばかり躊躇したためだ。
 とはいえ、ためらってもしかたがないことは、僕にもわかっている。
 母はもう亡くなっていて、許可をもらうことはできないし、僕の仕事はこの街を調べることなのだから。

 母の家は、リオーネ地区の東端にある住宅街の一画にあった。
 ここも、火災に遭うことなく残っていた。
 庭は、植物が伸び放題に伸びて、まるでジャングルのようになっている。
 母が昔、子供のころによく乗ったと話してくれたブランコは苔とつる草におおわれて、まるで何かのオブジェのようだった。
 母の名前は、ミリアム。
 旧姓はカーゴだ。
 彼女は、十七歳までをこの街で過ごした。
 十七の春に、母親(僕にとっては祖母)ジュリエッタと共に、別の都市に住む母方の叔父を見舞いに出かけて、二日後に戻ってみたら街には入れなくなっていたのだという。
 そのあと軍によって拘束されて、厳重な検査を受けさせられ、更に一年近く監視されたあと、ようやく解放されて母親と共に都アルスレートに移り住んだ。そこで、僕の父と出会い結婚し、僕を産んだというわけだ。
 当時は妖魔化病が疫病だと思われていたせいで、彼女は何一つ家から持ち出すことが許されなかったのだという。
 それどころか、旅行に持って行った荷物も、その時に身に着けていたものも全て軍に没収されたそうだ。
 むろん、衣類や当座の生活必需品は代わりのものが軍から支給されはした。
 だが母は、生前に当時をふり返って「全てを奪われた心地がした」と、悲しげに言っていたものだ。
 妖魔化病が疫病ではないことがはっきりしたあとも、東ゲヘナ政府はこの街を封鎖し、誰の立ち入りも許さなかった。
 その封鎖が解かれたのは十年ほど前だが、そのころすでに父は亡く、母は僕を育てるために懸命に働いていて、とてもではないが旅行をするような余裕はなかった。
 そして結局母は、一度もこの街に戻ることなく、五年前に死んだ。

 子供のころの、そして十代のころの母はどんなふうだったのだろう。
 僕は家の中を、ゆっくりと見て回った。
 母の家は、この地区にあるものとしては、比較的大きかった。
 短い階段のある玄関ポーチを抜けてドアを開けると、小さ目のエントランスが広がる。天井は吹き抜けで、右手には二階へと続くゆるくカーブした広い階段があって、正面は奥へと続く廊下だ。
 二階には三つ部屋があって、一つは客室だろうあまり生活感のない部屋で、残る二つは母とその弟の部屋だと知れた。
 弟(……僕にとっては、叔父にあたるのだが)の部屋の方は、ひどく雑然としていて、いろんなものがベッドの上や書き物机の上に積み上げられていた。あまり、整理整頓は得意じゃなかったようだ。
 一方の母の部屋は――入るなり、母の部屋だとわかる、僕にとってはひどくなじみ深い雰囲気に包まれていた。
 あまり甘すぎない、少しだけシックな色合いのレースのカーテンや、壁に飾られた写真。窓際に吊るされたすっかり朽ちてしまっているドライフラワーや小さな手作りの壁飾り――そういったものは、僕が幼いころからごく普通に、自分が育った家の中で見て来たものだったからだ。
 部屋の隅の棚の上には、たぶん当時は部屋を華やかにするのに一役買っていたのだろう、瓶詰めの植物標本がいくつか並んでいる。
 その隣には、手作りのスタンドに挟まれて、珍しい紙の本が何冊か置かれていた。表紙には、母の手作りだろうブックカバーが掛けられている。
 書き物机の引き出しには、リボンやアクセサリー類が蓋のない木の箱に入れられて並んでいた。
 それと共に僕は、ペンと紙のノートを発見する。
 ……そういえば、母が昔、話していたことがあったっけ。この街に住んでいたころは、紙のノートにペンを使って日記をつけていたと。
「仲良しの女の子の間で、流行していたの。……もともとは、セアラがね、昔は紙にペンで書いて記録するのが主流だったって話してくれて、それで面白そうってなって、みんなで始めたのよ」
 母は、まるで十代の少女のように頬を染めて、そんな話をしてくれたものだ。
 当時僕はそれを聞いて、「女の子って、変な事を面白がるんだなあ」なんて、ちょっと不思議に思ったものだった。
 たぶん、三十八年前でも、紙にペンで何かを記録する人は少なかったと思う。
 三百年ぐらい前までは、紙とペンも一般的によく使われていて、手紙のやりとりが行われたり日記が書かれたりしていたらしいけれど……今はもう、そういう文化はほとんど廃れてしまっている。
 記録は携帯端末機で簡単にできるし、誰かに連絡を取りたい時や文書を送りたい時は、たいていはメールを使うのが普通になって来たからだ。
 けれど。
 僕は、なんとなく新鮮な気持ちで紙のノートを開いた。
 そこには、すっかり色あせたインクで書かれた、見慣れた母の文字が並んでいる。
 十七歳のころの母の日記――なんだか、見るのが後ろめたい気もするが、一方ではすごく興味を惹かれた。
 少しためらってから、僕はそれを持ち帰ることにして、収集用のカバンに入れた。
 机の引き出しには、他にもいろいろなデザインのレターセットや、使われていない新しいノートなどがしまわれていた。
 それらをパラパラとめくって中を改め、それからちょっと気後れしつつも僕は、今度は壁に組み込まれたクローゼットへと向かう。
 その中には、服やバッグや靴が、当時のまま色あせて残されていた。
「パパに誕生日のプレゼントにもらった靴、とっても気に入っていたのよ。軍の人に、それだけでも取りに戻りたいって言ったけど、ダメだって。中は火を掛けたから、そもそも何も残っていないだろうって、怖い顔をして言われたわ」
 脳裏に、生前の母のそんな言葉がよみがえる。
 この中のどれが、母の言っていた靴なのかはわからないけれど……何もかも無事な様子を見たら、母は喜んだだろうか。それとも、放置され色あせ古びてしまった持ち物たちに、悲しんだだろうか。
(少し、感傷的になりすぎるな……)
 僕は、自分で自分の考えに苦笑して、クローゼットのドアを閉めた。
 僕がこの調査で収集しなければならないのは、当時の人たちの生活や想いなどを忍ばせるようなもの――つまり、文書や映像などに残された彼らの生活記録とでも言ったようなものなのだ。
 だから、衣類や靴などは、そこに記録機能がない以上、収集対象にはならないのだった。
 僕は最後に、記憶に焼き付けるように部屋の中をゆっくり見回してから、そこをあとにした。

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