【神聖暦5038年 1の月29日 はれ】
リオーネ西地区のはずれにある一軒家の地下で、白骨化した死体を発見した。
26日に補給部隊が来て、リオーネ地区で収集したものを持ち帰り、リオーネ地区についての報告書をメールに添付して提出したあと、27日から僕は、リオーネ西地区を調査し始めた。
リオーネ西地区は、リオーネ大通りの西側に広がっている。
ここも基本的にはリオーネ地区と変わらない庶民の住む区域だ。ただ、その北西には歓楽街が広がっているせいか、西に行くほど建物は老朽化がひどくなり、うらぶれた雰囲気になって行く。
ちなみに、リオーネ地区も北東には貧民街が広がっていて、東に行くにつれてこんな感じだった。
ただ、その家はそれほどひどい造りのものではなかったけれど。
壁や屋根に苔が生え、植物があちこちから茎や葉を伸ばしていて、そのせいで壁に亀裂が入っていたり、屋根が崩れかけたりしてはいたが、それは基本、どこの家も似たりよったりだった。それに、どちらにしてもそれらは、街が封鎖され放置されたことによるもので、もともとのこの家の状態ではなかったことは、明白だった。
玄関には、他の家同様に鍵はかかっていなかった。
中には、必要最低限の家具が置かれているきりで、ひどく質素な印象だった。
玄関から、台所兼居間、その奥の浴室などを見て回り、狭い螺旋階段を昇って二階へ行く。
二階には部屋が三つあったが、一番大きい部屋にはベッドが三つ、他の二部屋にもベッドが二つずつあって、大勢で共同生活を営んでいたらしいと推測された。
最初は宿屋かとも思ったけど、それにしては階下にフロントらしい場所がなく、独立した台所がないのも不自然だったから、たぶん、共同生活の方だろうと考えたのだ。
どの部屋にも、物は少なく、住んでいた人々の生活を思わせるようなものは、ほとんど残っていなかった。
ベッドの上や枕元などに、衣類が残っている場合もあったが、通信端末機やコンピューター端末のようなものは、どこにもない。
収穫らしい収穫もないまま、僕は階下に戻った。
(さて。……これからどうしようか)
もう少し、この一階を調べてみようか……と思案しつつあたりを見回した時だ。
どこからか、かすかに音楽のようなものが聞こえて来た。
僕は、その音に導かれるように居間を出て、玄関から続く廊下の先へと向かう。
音は、廊下の突き当りの壁の向こうから聞こえていた。
(まさか、ここは……)
壁に見えるが、出入口があるのだろうかとその壁に手を掛けて押してみると、壁は扉と化して難なく開いた。
音は、先程からよりも大きく聞こえる。
見れば、扉の先には下へと降りて行く階段があった。
僕はカバンの中から携帯用のライトを出すと、それを灯して階段を降りて行った。
階段はすぐに終わりを告げ、僕はほどなく地下室に到着する。
足元から聞こえる音に、僕はライトの光をそちらへと向けた。
光に浮かび上がったのは、銀色の小さなロケットペンダントだった。
拾い上げようと身を屈めた僕の足元を、チチッ! と声を上げて小さな影が横切って行く。
それは、ネズミだった。
僕はちょっと驚いて動きを止めたものの、ネズミの姿が見えなくなると改めてペンダントを拾い上げた。
中には写真などは入っておらず、ただ音楽が鳴り続けているだけだ。
ロケットの蓋を閉じると、音楽は止んだ。
たぶん、さっきのネズミがたまたま蓋を開けてしまって、音楽が鳴り出したのだろう。
僕はそれを元の位置に戻すと、ライトでゆっくりあたりを照らしながら、見回した。
隅の方に何かあることに気づいて、そちらに歩み寄る。
「うわっ……!」
ライトに照らされたものを見て、僕は思わず声を上げた。
それは、人間の骨だったからだ。
壁に寄りかかるようにして、座っている。
両手を祈るように組み合わせ、ボロボロの布をまとっていた。
僕は、できるだけ静かにそれを覗き込む。
恐怖はなかった。
乾いて黄色っぽくなった骨は、なんだか人体模型のようで、その上にかつては肉や皮がついて動いていたのだと思えなかったせいかもしれない。
と、組み合わせた手の間に、何かが挟まっていることに気づいた。
明かりをそちらに向けてみる。
それは、銀色の小さな人型の彫像だった。
「これってもしかして……サルバン教の?」
思わず呟いたのは、その彫像を見たことがあったからだ。
それは、東ゲヘナの殊に北部で信仰する人が多いと言われている、土俗の宗教だった。
千年ほど前、この国をひどい飢饉が襲った。その時、北の地方で一人の聖人が飢えに苦しむ人々を救うため、奇跡の力で自らの肉をパンに、血を葡萄酒に変えて人々に分け与えたのだという。それを知った当時のその地方の役人やエテメナンキの牧師らは、自分たちが助かるために、その聖人を捕えて殺してしまったそうだ。殺せば、全身まるごとのパンと葡萄酒が手に入ると信じて。
だが、聖人の死と共に奇跡は消え、役人たちと牧師らの手にはただ、死体が残ったばかりだった。
役人たちと牧師らは腹を立て、弔うことすらせずに、死体を道端に投げ捨てた。
一方、人々は聖人の死を嘆き悲しみ、せめて自分たちの手で埋葬しようと集落のはずれに運んだところ、死体はパンの山と葡萄酒の池となって、人々の飢えと乾きを癒したという。
更に、後日この地方の人々の間に、聖人は肉と血を自分たちに与えて神エンリルの眠る楽園に行ったのだ、だからいずれまた新しい体を得て戻って来るに違いないという噂が、まことしやかに囁かれるようになったそうだ。
そうした出来事があって、いつしかその聖人は信仰の対象となった。
それが、サルバン教だ。
ちなみに『サルバン』は、その聖人の名前だと言われている。
僕が通っていた大学にも、サルバン教を信じている人がいて、だからこの彫像を見たことがあったのだ。
(……そうか)
ふいに僕は、合点がいった。
この家はたぶん、サルバン教の人々が共同生活を営む場所だったのだ。
そう、サルバン教を信じる人々の中でも、貧しい者たちは時に一軒の家に共に暮らすことで少しでも貧しさを緩和しようとするのだと、聞いたことがある。
彼らは、少しでも自分たちのくらしが楽になるように、決まった時間に毎日集まっては聖人に祈りを捧げるのだとも聞いた。
たぶん、この地下室はその祈りのための部屋だったんだろう。
妖魔化病による騒乱の恐怖もあって、ここに逃げ込み、そのまま飢えて死んでしまった……とかだろうか。
僕は、カバンの中からカメラを取り出した。地下に降りる前から録画すればよかったと、少し後悔しながら、動画の録画ボタンを押して、ゆっくりと室内の様子を撮影する。
撮影中に、奥の壁にもう一つドアのない入口があることに気づいた。
撮影しながら、その中へと足を踏み入れる。
……そちらには、複数の白骨死体が並んでいた。
どれも皆、最初に見たものと同じく、両手を祈るように組み合わせてその場に座っていた。身にまとっているのは、ボロボロの衣類だ。
僕は、それもまた撮影し――むろん、彼らが両手の間に挟んでいる彫像も、ズームで映した。
それを終えると、僕はそっと彼らの遺体に頭を垂れ、そのまま部屋を後にする。
ここのことは、早急に本部に連絡しよう。
白骨化してしまっているとはいえ、彼らは当時のことを知るための重要な手がかりになるかもしれない。
それにたぶん、調査が済めば、ちゃんと葬ってあげることもできるだろうし。
僕は地上に出ると、見落としがないかを確認するため、もう一度家の中を見て回ってから、そこをあとにしたのだった。
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